明日香の古墳

三輪山からの続きです。
有名な石舞台古墳。ここは、蘇我馬子の墓ではないかと言われています。



石舞台というのは古墳に覆われていた土がなくなって巨石が現れて、石の上で踊れるくらいの場所だからということから。


蘇我馬子は550年ころの人(大臣)。渡来した仏教を支持し、日本古来の神道を支持する物部氏と対立した。
石舞台というのは、巨石を組み合わせた古墳です。古墳といえば、円墳か前方後円墳が有名で、パッと見、小山のような形です。ところが、ここはそうなっていません。元々は、土がかぶさっていたのがどういうわけか取り去られてしまったようです。蘇我氏が専横していたので、敵対勢力が腹いせに荒らしたのだとも。この巨石の玄室は長さが約7.6m、幅が3.5mあります。
その幅側に入口があって中に入ることができます。この中には石棺や副葬品はなくなっていて、ガランとしています。当日は小学生の遠足でにぎわっていました。



玄室内部へ入ると、けっこう広い感じがします。また、石の一つ一つが巨大なことに驚かせられました。埋葬された人物の権勢を物語っています。本当は、この巨石も取り壊したかったのでしょうが、一筋縄でいかなかったので断念したものでしょう。



次に行った場所が亀石です。ほんの庭先にポツンと置かれているような感じです。見るとおりいかにもユーモラスな姿をしています。



この亀石は西南を向いていて、これが万一西を向いてしまうと大和盆地は泥沼になると書いてありました。ふーん、面白いねーと思って、羅盤を取り出して向いている方位を確認しましたらぴったり坤方でした。意図的に西南に向けたものでしょうか。



次に行ったのが有名な高松塚古墳。円墳で、下段は直径23mとこじんまりとしています。誰が埋葬されていたのかは不明ですが、一説によると天武天皇の皇子ではないかとされています。



ところが、この内部の壁面に宮廷につかえる女性の絵が発見され、飛鳥美人として一躍有名になりました。実際のものは国宝に指定されています。古墳の近くにある高松塚壁画館で模写したものを見ることができました。



最後に訪問したのが、天武天皇陵。天武天皇は600年代後半の人。壬申の乱(672年)、天智天皇の子である大友皇子を倒して、翌年に即位。初めて天皇と称した。また日本という国号を定めた。仏教を崇拝し、道教、天文地理にも関心を寄せたとあります。
持統天皇というのは妻であって、天武天皇のあとをついで即位しました。
説明文を見ると、古墳の形は八角形で五段となっており、珍しいものです。道教の影響があるのではと思います。



石張りの坂を上がっていきます。ゆるやかにカーブしているところがいいですね。


正面に立ちました。柵があって、正面には鳥居が見えます。皇族の墓の様式をしています。ただし、これらは近年に作られたものかと思います。(外部から立ち入らないようにしている)



近くによって、手を合わせました。そして羅盤を取り出して方位を測りました。びったり子山午向です。ちゃんと方位をこだわっています。



ところで、古墳というものは全体に木が生えて森のように、あるいは小山のように見えます。聞くと、もともとは木がなかったそうで、鳥が種を運んで来たり、風によって自然に種が定着していったもの。古墳を管理する人がなく、いつの間にかこのような姿になっていったようです。

今回は、時間が限られた中で明日香村を自転車で移動しながら見ていきました。次回はゆっくりと時間をかけて探索したいものです。また、それだけの値打ちがある場所だと確信しました。
 

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